10月22日に緒方貞子さんがご逝去されました。92歳でした。
緒方さんの訃報は世界中に瞬く間に広がり、大きなニュースとなりました。
そこで本記事では「小さな巨人」と呼ばれた緒方貞子さんの業績について調べてみました。
緒方貞子さんについて
経歴
緒方 貞子(おがた さだこ)
昭和2年(1927年)9月16日生まれ(享年92)
昭和26年 聖心女子大学文学部英米科 卒
昭和28年 ジョージタウン大学 国際関係論修士号取得
昭和38年 カルフォルニア大学バークレー校 政治学博士号取得
昭和40年-54年 国基督教大学非常勤講師・準教授
昭和51年 国際連合日本政府代表部 公使
昭和53年―54年 特命全権公使 国際連合日本政府代表部在勤
昭和53年―54年 UNICEF執行理事会議長
平成元年―3年 上智大学 外国語学部長
平成3年―12年 第8代国連難民高等弁務官(UNHCH)
平成15年―24年 独立行政法人国際協力機構理事長
平成24年―26年 独立行政法人国際協力機構特別顧問
平成24年―28年 外務省顧問
平成30年― 独立行政法人国際協力機構名誉顧問
https://www.unhcr.org/jp/sadako_ogata
UNHCR 日本 から抜粋
曾祖父は首相?
緒方さんの曾祖父はなんと政治家の犬養毅です。犬養毅と言えば「五・一五事件」で暗殺された首相として有名です。(首相官邸に突入してきた海軍将校に対して「話せばわかる」といったのも有名です)
祖父は吉沢謙吉元外相でまた義父の緒方竹虎さんも政治家です
生い立ち
東京に生まれた緒方さんは、幼少期をアメリカや中国で過ごし、聖心女子大学卒業後はアメリカのジョージタウン大学で修士、カルフォルニア大学バークレー校で博士課程を修了し、その後は国際基督教大学や上智大学で教鞭をとりました。
国連難民高等弁務官として
緒方さんが世界に有名になったのは1991年から2000年まで日本人として、また女性として初めて国連難民高等弁務官に就任し、世界を舞台に活躍されました。
国連難民高等弁務官とは
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR: The Office of the Unites Nations High Commissioner for Refugees )は、第二次世界大戦後の1950年に設立された国連の難民支援機関であり紛争や迫害によって故郷を失われた難民や避難民を保護、支援活動を通して難民問題の解決を目指しているのです。
スイスのジュネーブに本部があり、約12,000人の職員が世界約135か国で7,480万人の支援に従事しています。1954年と1981年にはノーベル平和賞を受賞しています。
主な活動として紛争や内戦が発生したときには逃れてきた人に対してテントや食料、水、医療などを提供したり、難民や避難民のために難民キャンプで教育支援や女性支援、自立支援を実施します。
緒方さんの国連難民高等弁務官での活躍
就任直後に湾岸戦争が発生すると、180万人ものクルド人がイランやトルコの国境地帯に逃れ、そのうち40万近くのクルド人がトルコの国境に向かって避難しましたが、トルコ政府が入国を認めなかったために国内難民として国境付近にとどまりました。
国内避難民の保護はUNHCRの直接的な活動ではなく、支援するか議論になりました。
しかし緒方さんは人道支援と人命保護のために彼らを保護しました。これはその後のUNHCRの難民保護の在り方を変えたのです。
また1992年にボスニア紛争が起きると、サラエボ市民のための食料供給を妨害するボスニア政府に対して、人道支援の観点から政府と交渉して、食料をサラエボ市民に供給することが出来ました。
内戦が続くボスニア・ヘルツェゴビナでは難民キャンプに武装勢力にいた人も紛れ込むため、治安をどう守るかということが重要な課題でした。
国際社会に呼び掛けても非常に危険な任務であり、要請に応じる国はありません。そこで緒方さんはザイールのモブツ大統領の親衛隊やアフリカ諸国の仕官に訓練を施し、難民キャンプの治安維持に携わってもらうことに成功しました。
その後
国連難民高等弁務官を10年務めた後に、アフリカ支援日本政府代表となり、その後は2003年から国際協力機構(JICA)理事長に就任しました。紛争後の平和構築や開発支援の重要性を唱えました。
また国家による安全保障だけではなく、個々の人間の尊厳を重視する「人間の安全保障」の議論でも存在感を示しました。
1996年には日本人初のユネスコ平和賞を受賞、2003年には文化勲章が送られています。
そして今年2019年10月29日に亡くなったことが明らかになると、世界中から声明が発表されました。
緒方さんと同じ、難民高等弁務官を後に務めた国連のグテーレス事務総長は29日、声明を発表し、「深く悲しんでいる。サダコ・オガタは世界中の人々にとって人道主義の手本だ」としてその死を悼みました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191030/k10012156201000.html
さらに、グテーレス事務総長は、「サダコ・オガタは原則と思いやりと効率性という難民支援の基準をうち立て、みずからの信念に基づく行動をとることにひるまなかった。初の女性の高等弁務官として女性への暴力への対応だけでなく、女性を社会に参加させることに光を当てた先駆者だった。彼女の貢献は人間の安全保障という考え方を具体化する上で退任後も長く続いた」として、今に続く国連の難民行政の基盤を確立したと評価しました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191030/k10012156201000.html
そのうえで、みずからも後に同じポストを務めたことに触れ、「私は高等弁務官当時、サダコ・オガタが類を見ない功績を残したことを目の当たりにした。何百万人もの難民は彼女の責任感と熟達した仕事のおかげでよりよい生活と機会に恵まれている。そして今、祖国や自宅から逃れた人々は、彼女の功績があったからこそよりよい待遇を得ている」と功績をたたえました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191030/k10012156201000.html
そして、「同僚として、友人としてサダコ・オガタと知り合えたことに感謝している。ご家族と日本の国民、政府、そして彼女を敬う世界中の人々にお悔やみを申し上げる」と結んでいます。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191030/k10012156201000.html
そのほかにもUNHCRや外務省、安倍首相、国際協力機構からも声明が出ています
UNHCRhttps://www.unhcr.org/jp/23911-pr-191029.htmlから
安倍首相からhttps://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191029-00000586-san-pol
国際協力機構からhttps://www.jica.go.jp/information/info/2019/20191029_10.html
おわりに
緒方さんは「現場主義」と呼ばれるほど積極的に現地を訪れ、立場の弱い人に寄り添うことをしてきました。その姿勢が多くの人から尊敬されることになったのです。
しかし、難民問題は深刻となっているのにも関わらず、日本は難民を2018年はたった42人しか受け入れていません。難民問題は他人ごとではないでしょう。今後日本はどのように難民問題に向き合っていくのでしょうか。
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