核とどう向き合うか?

政治コラム

昨日、8月6日、広島では74回目の平和記念式典がおこなわれ各国の代表など数多くの人々が参列しました。

皆さんはテレビなどで式典の様子をご覧になりましたか?

昭和20年8月6日に広島、8月9日に長崎の原子爆弾が投下され、日本は人類史上初にして唯一の戦争被ばく国になりました。

それから今日まで戦争被ばく国は生まれていませんが、いまだに世界各地には数多くの核兵器が存在し、また原発も数多く稼働しています。

今回は、核と私たちがどう向き合うかについて考えてみたいと思います。

広島への投下

8月6日午前8時15分、当時約35万人が暮らしていた広島市上空に飛来した、米軍の爆撃機B29「エノラ・ゲイ」号から「リトルボーイ」と名付けられた1発の爆弾が投下され、上空約600mで炸裂しました。爆心地付近の広島県産業奨励館(現 原爆ドーム)はかろうじて骨組みは残ったものの、周囲の建物はそのほとんどが熱線と爆風によって倒壊し、そこにいた人々はほとんどが亡くなりました。

現在の広島市西区付近で被ばくした方の手記によると、この日工場内にいたところ突然ドカーンという物音がした3秒位後に、異様な物音と同時に窓ガラスが木っ端みじんになって飛んできた為、工場内は女性工員の泣き声や、工員のわめき声、防空壕に入るよう怒鳴る声が入り乱れる中、防空壕に避難したとのことです。

しばらくして防空壕から出ると、工場の建物は全てマッチ箱を押しつぶしたように倒れていた為、誰もが自分たちのところに爆弾が投下されたと思ったとのことです。

その後、市内が大変なことになっているとの知らせを受け、山を下り市内に向かったとのことですが、その途中裸同然としか見えない息絶え絶えに立った人たちと出会い、その人たちから「水をくれ」と頼まれたそうですが、誰ともなく、「今、水を飲ませたら死んでしまう」と言っていたので、素通りしたけれど、今思えばあの時水を飲ませてあげた方が良かったのではないだろうか、と思い出すことあるとのことです。

市内には全裸のまま死に絶えている人がいるかと思えば、今まさに息を引き取ろうとして苦しんでいる人もいて、そのむごたらしさに唖然とするばかりだったとのことです。 広島への原爆投下によって、その年の12月末までに14万人の方が亡くなったとされています。その中には、米軍の捕虜も含まれていたとのことです。

核の恐ろしさと利便性

核は原爆や水爆といった悲惨な結果をもたらす兵器としての側面もありますが、その一方で原子力発電として平和利用も現在の社会ではされています。

原発は発電時にCO2を排出しないことから環境面、そして膨大な電力を賄うことができる点で、世界各地で利用されています。しかし、東日本大震災では福島第一原子力発電所の事故でその制御の難しさ、一度事故になった時の恐ろしさを、皆さんも実体験として経験したと思います。

核は使いようによっては、私たちに今以上の大きな恩恵をもたらす可能性を秘めている反面、一度その牙をむいた時の対処の難しさ、被害の大きさは現在の私たち人類には制御しきれるものとは言い難いものです。

おわりに

毎年、広島では平和祈念式典が行われましたが、年月を経るにつれて被ばくした方の数も高齢化によって少なくなってきています。

原爆の恐ろしさを実体験として知っている世代が減少する反面、核に関する技術は時代が進むにつれ進歩しています。このような時代に生きている私たちはこれからの核をどのように利用していくのかという「核との向き合い方」を、考えていかなければならないのではないでしょうか?

そしてその為には、広島や長崎でおこなわれる平和記念式典を単なるセレモニーにするのではなく、日々考え続けていくことが必要なのではないでしょうか?

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