イントロ
先日7月6日にユネスコの世界遺産委員会は「仁徳天皇陵」として知られる大山古墳を中心とする、「百舌鳥・古市古墳群」を世界遺産に認定しました。
これらの古墳は4世紀後半から5世紀後半の古墳時代のもので、今後古代日本史への注目がより高まることが期待されます。
ところで皆さんは平安時代以前の日本についてどんなイメージを持っていますか?
遣隋使? 遣唐使? 聖徳太子? それとも・・・・・
今回は古代の以外な姿について迫ってみたいと思います。
平城京にいた以外な人物
平城京・・・・710年に造営された奈良時代の都で、皆さんも一度は名前を聞いたことがあると思います。
そんな平城京の中にある、平城宮の遺跡から1966年一枚の木簡が発見されました。そこには字が書かれていたのですが、書かれている字が消えかかっていたりした為長らく何が書かれているのかはわかりませんでした。
そこには人の名前と役職が書かれており、その木簡は「大学寮」という役人を養成する為の機関に勤務する人の宿直記録で、名前は『破斯清通』という人物でした。
約1,300年前の役所の宿直記録が発見されるだけでもすごいことですが、もっと驚くべきことに、破斯という単語は当日ペルシャ(現在のイラン近辺)を指すもので、この破斯清通という人物は、ペルシャ人もしくはその子孫であった可能性が極めて高いのです。
皆さんも少し想像してみてください。
今から1,300年前の日本の都にはるばる中東ペルシャから来た人物が居て、しかも役人として国の機関で働いていることを。
もしかすると、あまり仕事の愚痴や現代人と変わらない話を同僚としていたのかも知れません。そう考えると、少し1,300年前の奈良時代が身近に感じられませんか?
インターナショナルな古代日本
破斯清通以外にもこの頃の時代には多くの外国人が日本にやってきていました。有名なところでは、唐からやってきた鑑真や東大寺の大仏の完成式典にも参列したインド人の僧、菩提僊那などです。日本からも遣唐使など海外に留学する人材も多数いました。
またこの時代は正倉院に代表されるように、海外の品物もシルクロードを通じて日本国内に入ってきました。
古代の日本や世界は私たちが思っている以上に国際色豊かな時代だったのではないでしょうか?
おわりに
古代の日本の人々は「渡来人」と呼ばれる海外から渡ってきた人々から様々な文化を吸収し、取捨選択し、もともとの文化と融合することで新たな文化を生み出していきました。
現代の私たちは地球の裏側ともリアルタイムで繋がることができる時代に生きています。
そんな時代に生きている私たちはこれからどんな新しい文化を海外の人々と交流することで生み出していくのでしょうか?
コメント