※この記事は政治市民育成団体Civisによって、2018年1月5日に投稿されたものを編集しなおしたものです。
― 子どもを持たずに死ぬ人はいない。― 「そんなことは無い、子どもを持たずに亡くなる方もいるだろう。」 そう思う方も多くいらっしゃると思いますが、これは本当のことだそうです。といっても日本の話ではありませんが・・・
このような考え方があるのは日本から遥か遠く、アフリカは南スーダンです。 南スーダンといえば、長きに渡るスーダン内戦を経て2011年にスーダンから独立した後も大統領派と副大統領派の間で紛争が発生するなど、国内情勢は安定していません。自衛隊のPKO日報問題でも注目された為、国名は聞いたことがあるという方も多いのではないでしょうか?
今回はそんな南スーダンでフィールドワークを行い、冒頭の ― 子供を持たずに死ぬ人はいない。― という考えを持つ「ヌアー(ヌエル)族」について研究を行った、高千穂大学の橋本栄莉准教授にお話しをうかがいました。
南スーダンを研究するきっかけ
なぜアフリカ特に南スーダンでの研究を思い立ったのですか?
大学2年生か3年生の頃に、大学の図書館で『ヌアー族の宗教』という分厚い本を偶然見つけました。はじめ、よく「ヌアー族」なるものの「宗教」なんぞにこんなに時間を割いて本を書けるなぁ、ある意味感動する、などという気持ちでこの本を手に取りました。そこでその本を読んでみて、ショックを受けました。日本語で書いてあるのにもかかわらず、そこには私にはまったく理解不可能な世界が広がっていたからです。
「双子は鳥である」「キュウリは雄牛だが、雄牛はキュウリではない」というような思考様式、その独特な世界観になんともいえない衝撃を受けました。その後、スーダンが長きにわたる内戦を経験していることを知り、果たしてかのヌアー族はその後どのような世界観をもっているのだろうと気になりはじめました。そして国内外の研究者による書籍を読み、ヌアー族が、とてもユニークなかたちでの社会変化をしているということを知りました。
とはいえ、まだまだわからない点も多いということで、実際に行くことにしました。しかし、南スーダンに行けども行けども謎は深まるばかりで、一向に『ヌアー族の宗教』を読んだ時の衝撃はおさまらないまま、現在に至るという感じです。個人的には、「アフリカに行くこと」あるいは「研究をすること」に強いこだわりがあるというわけではなく、自分の中で気になっているから行く、というくらいの気持ちでいます。
南スーダンと日本の違い
南スーダンの慣習で驚いた点や日本との違いは何ですか?
慣習で言うなら、女性が男性として花嫁をもらう女性婚や、死者と結婚する死霊婚、王の生き埋め儀礼や成人儀礼の際に身体に刻まれる瘢痕文身などが知られているでしょうか。詳しく知りたい人はどうか文化人類学の教科書を開いてみてください。
日本と特に違うなと思うポイントは、やはり結婚や子孫に対する考え方でしょうか。ヌエル族では、子どもを持たずに死ぬ人はいないと言われています。不妊の女性は先に挙げた女性婚である子どもの「父親」になることができますし、子どもを持たなかった人は「死霊婚」を通じてある人の「親」になることができます。
ヌエル族ではいわゆる「血のつながり」は全く問題視されず、結婚の際にある女性(妻)に婚資としてのウシを贈った者が、その女性から生まれる子供の「父親」になります。日本も「血のつながり」神話は最近になって暴露されるようになりましたが、やはり実の父親・母親に対する信仰はまだまだ根強いですよね。彼らの家族のスタイルから私たちも学ぶところがあるのでは、と思います。
異なる文化を知る意義
異なる文化を知ることの意義は何でしょうか?
異なる文化を知るということは、自身の生きている文化についても知ることですし、さらにいえば、文化が形成してきた自分自身の思考の限界に挑むことでもあります。
受け入れられないような文化・慣習に出会ったとき、では自分はどのような文化によってその考え方を押し付けられてきたのかについて考えを巡らせることで、新たな自分の姿を見つけることができるのではないでしょうか。
大学生にむけて
最後に今の大学生へのメッセージをお願いします。
どんな小さなことでも、自分なりの「問い」を持って日々世界を眺めることは大事だと思います。今現在の当たり前を当たり前と思わずに、それとはちょっと距離をとるための考え方を身につけることで、生きにくい社会を自分なりに生きやすくする力を大学での学びを通じて育んでください。
おわりに
―郷に入れば郷に従え― “When in Rome, do as the Romans do.” ということわざは、その土地の中ではそこの習慣に従うことが大切だ。という意味ですが裏を返せば、郷から一歩出てしまえば郷の習慣は”常識ではなくなる”ということを表しているとみることもできます。
しかし、私たちはついつい自分の物差しで物事を見てしまいがちです。自分の常識は非常識でもある、ということを意識することは相手の立場に立って考えることにも通じるもので、これからの時代により一層に必要になってくるものなんじゃないか、ということを今回のインタビューを通じて考えました。
(聞き手 畠中惇)
著書紹介:
橋本栄莉『エ・クウォス :南スーダン、ヌエル社会における予言と受難の民族誌』九州大学出版会 2018 https://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%82%B9-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E6%A0%84%E8%8E%89/dp/4798502227/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1546606575&sr=1-1&keywords=%E6%A9%8B%E6%9C%AC%E6%A0%84%E8%8E%89
参考文献:
E.E.エヴァンズ=プリチャード(著) 向井元子(訳)『ヌアー族の宗教 (上)(下)』平凡社1995 https://www.amazon.co.jp/%E3%83%8C%E3%82%A2%E3%83%BC%E6%97%8F%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99-%E5%B9%B3%E5%87%A1%E7%A4%BE%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%BC-83-%E3%82%A8%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BA-%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89/dp/458276083X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1546606492&sr=1-1&keywords=%E3%83%8C%E3%82%A2%E3%83%BC%E6%97%8F%E3%81%AE%E5%AE%97%E6%95%99
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