第一回 中高生憲政討論会

政治コラム

こんにちは。「中高生ICOPH研究会Tokai」共同代表の清水です。 弊団体は、

I Intelligence     情報史学・諜報
C O Constitution    憲法 憲法典
P Politics         政治
H History        歴史

この4分野について中高生が議論を交わし、政策の提言を行なおうという団体です。

さて、参議院選挙が終わり、遂に自民党や日本維新の会を中心にして憲法議論が始まろうとしています。

それに際し、私たち中高生も日本国民の一員として「憲法」に触れ、そもそも憲法とは何なのか、現行憲法の問題点は何なのかという点について考える機会を設けました。

それが「中高生による中高生の為の政治討論会」(仮)です。

第一回の討論会は7月25日、名城大学の社会連携ゾーンshakeにて開催し、中高生13名、社会人5名が参加しました。本ページでは、この討論会の様子について報告いたします。

 共同代表の私はまず、現行憲法の問題点を考える前に、我が国最初の近代的な憲法典である「大日本帝国憲法」(以下、帝国憲法と記す)と「日本国憲法」(以下、現行憲法と記す)の理念や、制定の背景などのプレゼンテーションを行いました。

そして、それらを元にして憲法議論に臨んでもらいたいと考えました。このページでは当日の発表を用いながら、帝国憲法と日本国憲法についてのお話をします。

そもそも「憲法」とは

 発表の始めは「憲法」とは何かというテーマでお話をしました。憲法とは、しばしば「氷山の塊」に例えられますので、今回もその例を取って説明します。

 そもそも憲法とは、氷山の水面上に見えている「憲法典」=(現行憲法や帝国憲法のような成文化されたもの)だけではなく、図に示してあるように、その国の「歴史・文化・伝統」などを含み、また「憲法附属法」や「憲法習律(運用の仕方)」「憲法典に対する司法の判例」など全てを合わせたものを指す言葉です。その為、現行憲法や帝国憲法などは「憲法典」と呼ばれます。

そして、このような憲法(憲法典や歴史・文化・伝統)に則り、君主や為政者が政治を行なうことを「立憲主義」の政治と言います。また、戦前はこの憲法に当たるもの、すなわち日本の国柄となるものを「国体」と称しました。

大日本帝国憲法について

公布までの道のり

帝国憲法は、1889(明治22)年2月11日に公布され、翌年の11月29日に施行されました。この憲法典の成立には、初代内閣総理大臣となる伊藤博文や、伊藤巳代治、井上毅、金子堅太郎などが深く関わっています。

伊藤は、1882(明治15)年3月より洋行し、欧州各国で憲法についての勉強を重ねます。ドイツ、オーストリアで憲法学を学び、その中でオーストリアのウィーン大学、ロレンツ・フォン・シュタイン教授から「憲法はその国の歴史・伝統・文化に立脚したものでなければならないから、いやしくも一国の憲法を制定しようというからには、まず、その国の歴史を勉強せよ」という助言を貰いました。(Wikipedia/「大日本帝国憲法 #制定までの経緯」より文引用)

 ここで伊藤は気づきます。「単に、西洋の憲法典の条文を取り入れるだけでは駄目だ。西洋の猿真似をすれば、日本の近代化が為せられる訳では無い。」と。

文明国の通義に則り憲法を制定しても、それが自らの歴史に立脚したものでないといけないというわけです。日本が真の近代化を果たし、文明国の仲間入りをする為には「立派な憲法」が必要だったのです。

 賢いと評判の井上毅は、熱心に日本の国史を学びなおしました。『古事記』『日本書紀』は勿論のこと、律令格式や有職故実まで参照し、天皇陛下を中心にして歩んできた日本の国柄を探究し続けました。そして憲法草案が次第に出来上がってきました。

 また伊藤らは、帝国憲法の公式解説書である『憲法義解』を著し、簡文主義を採る帝国憲法の内容解釈を補いました。

その後、明治天皇ご臨席の下で憲法審議が行われ、1889(明治22)年2月11日、帝国憲法は公布されました。一般の人々は勿論のこと、自由民権活動家もこの憲法を評価し、国民一体となって憲法の完成を喜び合いました。

 帝国憲法と天皇

ではここで一点、大切な事を記します。帝国憲法において、天皇陛下は「専制君主=独裁者」であったのか、という点です。戦後の歴史学や憲法学では、『憲法義解』の解釈は無視され、あたかも天皇陛下が独裁者であり、前近代的な憲法であったかのように教えられます。

では実際のところどうであったのか。イギリスの憲政史家であるW.バジョットの『イギリス憲政論』より引用し、説明しましょう。

立憲君主は政治的な実権を持たない代わりに、次の3つの権利を有します。

警告する権利(警告権)臣下に対し、政策等の是非について強く警告。
激励する権利(激励権)大臣や国民に対し、励ましや奮起を促すおことば。
臣下の質問に答える権利(被諮問権)

これらを君主は上手く行使し、国政に対し強い影響力を行使するというわけです。

そして君主のお言葉に対し、臣下は従う義務はありません。また逆に、お言葉の真意を摑み、それを政策等に活かすかは臣下の責任であり、君主は何ら責任を負わない仕組みなのです。

つまり、賢明な君主と賢明な臣下(大臣)によって成り立つシステムなのです。

またお分かりいただけるように、立憲君主と言うのは臣下の傀儡でもなく、自分の意志で様々な影響力を行使し、国運のカギを握っていたとも解釈できます。

明治期にはこれが上手く機能していました。しかし、昭和の時代に入り、非常に賢明なる昭和天皇が「影響力」を行使しようと努力しますが、臣下はその努力に報いる行動をせず、結果「対米戦争」という道へと突き進んでいくことになりました。

ここで「立憲君主のあるべき姿」についての例として、半藤一利氏が著した『日本のいちばん長い日』(2015年映画)より参照します。

1945(昭和20)年8月、ポツダム宣言の受託を巡り、閣議は紛糾します。また、戦争の継続を望む陸軍の首領である東条英機は、「聖戦断行」を昭和天皇へ上奏します。その際、昭和天皇は言われました。

「ナポレオンの前半戦は、本当によくフランスに尽くした。だが後半戦は、自己の名誉の為にのみ働き、その結果はフランスの為にも世界の為にもならなかった。私は歴史をそのように見ている。日本はその轍を踏みたくは無い。違うか、東條。」

少し歴史に詳しい方ならば、昭和天皇の心中が如何なるものであったが推測できると思います。このように賢明な君主は、智識と言葉を最大限に活用し、臣下に影響力を行使します。ちなみに以後、強硬派であった東条英機は、公に声を上げることは無かったそうです。

日本国憲法について

公布までの道のり

では次に、「日本国憲法」について簡単にお話します。現行国憲法は皆さんご存知の通り、大日本帝国が太平洋戦争に負け、GHQの指導下で作られた憲法典です。当然のことながら、日本の歴史や伝統・文化などに立脚したものではなく、GHQの民生局の職員が世界中の憲法典などから条文を引用した「マッカーサー原案」を基に制定が為されました。

 もう少し詳しく読み解くと、敗戦後日本国内では様々な改革が行われますが、その一環として運用に多少なりとも問題があった憲法の改正をしようという動きが出ました。近衛文麿や憲法担当大臣、松本烝治の「松本案」は有名なものです。

しかしGHQは、それらの案を強く否定し、先に述べたように「マッカーサー草案」を作成し、事実上それを日本政府に押し付けます。これを見た当時の首相、幣原が「貧しい英語だ。」と述べたとも言います。

ちなみに現行憲法には、米合衆国憲法やフランス共和国憲法、ソ連のスターリン憲法の影響が色濃く残っています。そして日本政府はこの方針を受け入れ、議会での審議を経て「日本国憲法」は公布・施行されました。

 現行憲法に向き合う

現行憲法の三大原則は、平和・人権・国民主権です。これは小学生でも知っている知識ですので、詳細な説明は省きますが、この三大原則、憲法前文は勿論のこと、様々な条文にその理念が散りばめられています。この三大原則の是非はともかく、憲法典制定後70年以上に渡って誤植を含め、一言一句たりとも改正していないのが現行憲法です。

 そのような現行憲法を、我々の世代はこれからどうしていけばいいのか、それをテーマに我々は討論に臨みました。憲法の改正に当たっては、国民の間での「憲法観の合意」が必要です。我々は、どのような理念の下で、どのようにして国家を運営し、日本という国で生活を営んでいくのか。その根本となる「安全保障」や「社会福祉」の面での意見交流が大切なのです。

 そして、今回の討論の議題は4つ。

項目の②と③は、内容としては分かりやすいと思いますが、①と④は何でしょうか。

①の「簡文憲法」か「繁文憲法」か、というのは、要は「憲法に何でも権利や目標を書けば良いのか、否か」という事です。必要最低限の条文で構成されるのが「簡文憲法」、様々な事態を想定し、社会常識となっている事や道徳規範等も憲法典に書き込む(達成不可能な事でも)のが「繁文憲法」です。前者は、帝国憲法や立憲君主国の憲法典、後者は、合衆国憲法などの共和制国家に見られる憲法典です。現在の日本には、どちらの憲法典の様式が合っているのでしょうか。

④の「誤植の7条4号」とは何でしょうか。早速、条文を見てみましょう。

第七条 (天皇の国事行為)
 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。

四  国会議員の総選挙の施行を公示すること。

日本国憲法 第7条より

皆様、お分かりいただけましたでしょうか。答えは、「国会議員の総選挙」は存在しないということです。衆議院議員は解散があり、総入れ替えとなります。しかし参議院議員は、選挙があっても3年おきに半数改選。全ての国会議員が「総」選挙されることは無いのです。

と、このようなテーマで討論を行いました。

討論会

討論に当たり、全体を2つのグループに分け行いました。保守・リベラルなど考え方が違う生徒の配分も丁度良く、積極的かつ建設的な議論が展開されました。

憲法9条改正についての討論

〈肯定側〉
現在、国民の多くが自衛隊を支持しているなか、命を張って国民の生命を守ろうとしている自衛隊を多くの憲法学者が違憲であると捉えており、この議論に終止符を打たなければならない。

〈否定側〉
何か怖い、民主主義が壊されるのではないか、これを許してしまったら軍拡が進んでいていくのではないかと指摘があり、議論は平行線を辿る。

そこで、進行役がもっと具体的な内容に踏み込むよう指摘しました。

すると、中学生・高校生は、現状の日本の安全保障の状況がわからないので、9条を改定することでの具体的に発生するメリット・デメリットはわからないとの意見が出ました。

結論としては、憲法9条の議論を国民的なものにする為は、国民全体が安全保障の現状を理解する必要があると考えました。その為にも、中学高校の社会科等々の科目で、安全保障についての知識拡充が必須だと意見がまとまりました。そもそも「安全保障の現状」についての知識・理解が無ければ、何も進まない。これが今の日本なのだと実感しました。

高等教育完全無償化の明記についての討論

〈肯定側〉
憲法に規定をしなければ、今後無償化の推進をしなくなるのではないか?

〈否定側〉
憲法改正をしやすくするためのただの道具なのではないか、憲法にそもそも書く必要あるのか?

その後、参加者から無償化をした後、私立と公立の差がどうなるかとの質問がありました。私立公立の生徒に学校の環境について伺ったところ、プリント用紙や教室等々の環境などに差がある(もちろん一般論として)と指摘がなされました。

今後完全無償化が憲法に明記されずとも実行された場合、どのような変化があるのかについて疑問が生れ、財源についても地域間格差が出てしまうのではないか、と懸念の声も見られました。

結論としては、高等教育完全無償化について、提言している政党は財源や実行後の私立公立の学校像を明確に提示するべきであると考えがまとまりました。その際に、通う私たち生徒の目線が大事であるという観点から、その将来像を作る際にしっかりと学生の意見を反映させる機会を作るべきであるという政策を提案しました。

7条4号の誤植 「簡文・繁文憲法論争」

 この2点に関して、片方のグループであまり時間が取れなかったことから、意見をまとめあげるには至りませんでした。

しかしながら、7条4号に関しては「実際の運用に問題が無いなら変えなくてもいいのではないか」という意見が多数みられ、憲法典を変えるということの難しさを痛感しました。

「簡文・繁文憲法論争」については、「書かずに慣例として定着したほうが、運用としては健全である」や「何でも書けば、人権が保障されるわけでは無い」といった意見が見られ、これからの議論に注目したいと感じました。

まとめ

 今回は、はじめての開催でしたが、参加者の皆さんが意欲的に話を聞き、発言をしたこともあり進行は大変良好でした。

そして保守・リベラルなど、思想や主張の違いはあっても、皆「日本と日本国民」の為に、真剣に「未来のあるべき姿」について論じていたのも印象的でした。

反省点は次回に活かしつつ、今後も討論会の運営を行なっていこうと思います。

[主要参考文献]

倉山満 2015年『帝国憲法物語』PHP研究所
倉山満 2018年『明治天皇の世界史』PHP研究所
小堀圭一郎 2017年『和辻哲郎と昭和の悲劇』PHP研究所
倉山満 2014年『保守の心得』扶桑社
倉山満 2016年『嘘だらけの日英近現代史』扶桑社
倉山満 2015年『口語訳 日本国憲法・大日本帝国憲法』KADOKAWA
相澤理 2015年『「憲法とは何か」を伊藤博文に学ぶ 『憲法義解』 現代語訳&解説』アーク出版
バジョット(小松春雄 訳)2011年『イギリス憲政論』中央公論新社
芦部信喜 2015年『憲法 第六版』岩波書店

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