【ニュース】社会的弱者は社会が自ら生み出す

政治コラム

先月24日、参議院本会議にて不良な子孫の産生の抑止を目的とした旧優生保護法の下で障害のある方達に強制不妊手術が行われたことに対して、国が被害者への「お詫び」という形で一時金320万円の支給を盛り込んだ救済法が全会一致で可決、成立しました。

引用元: 旧優生保護法の救済法が成立、強制不妊手術の被害者に一時金

    BBC NEWS JAPAN https://www.bbc.com/japanese/48047996

私はこのニュースを知るまで実際に日本でそのような所業が行われていたことをあまり知りませんでした。そこで、今回、私の勉強も兼ねて皆さんに旧優生保護法が存在した当時がどのような状況だったのかをハンセン病を軸に紹介しつつ、さらにそこから今の私たちの世代がどうすべきかを探りたいと思います。

ハンセン病

今回私は実際に東京都東村山市にある国立ハンセン病資料館に伺いました。また、この施設には映画「もののけ姫」を制作する際に宮崎駿監督が訪れて、実際にたたら鉄を作るハンセン病患者の参考にしたとされています。

国立ハンセン病資料館玄関
撮影:国立ハンセン病資料館にて

症状

ハンセン病はらい菌という細菌に感染することで発症し、そのことは1873年(明治6年)にノルウェーのアルマウェル・ハンセン医師によって発見されました。

ハンセン病は免疫が不十分な乳幼児が感染者のらい菌を含んだ咳やくしゃみによる飛沫が鼻粘膜に付着することで感染します(飛沫感染)。ハンセン病を発症すると、汗が出なくなる発汗障害、また、手足の末梢神経が麻痺して、熱や痛みが感じられなくなる感覚障害、さらに重症化すると体の変形を引き起こします。

実際にハンセン病に罹患したノルウェーの患者、24歳、1886年
引用元:Wikipedia ハンセン病
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85

現在、日本でハンセン病にかかる人は年間で数名程度で、たとえ、感染して発症したとしても治療法や医療制度が確立されているために重症化する恐れはほとんどありません。しかし、海外を見たときに、上下水道などのインフラや医療制度が整っていないために衛生状態が悪い国々では、未だに数万人規模のハンセン病患者がいるとされ、その根絶には至っていません。

ハンセン病患者の分布
引用元:WHO Leprosy elimination
https://www.who.int/lep/epidemiology/en/

歴史

ハンセン病はその太古の昔からその存在が確認されています。実際に古代中国の文書、キリスト教の聖書、また、仏教でも信仰心が浅い者が仏罰として受けるとされていました。 それらの文献や言い伝えなどにはハンセン病患者に見られる変形した体の外見と感染に対する恐れから、ハンセン病が天罰、業病、呪いなどと考えられて、そのせいで長らく患者は偏見や差別の対象とされてきました。

強制隔離

日本でもその昔からハンセン病はコレラやペストと同じく危険な伝染病だと考えられていたために隔離政策が採られ、実際に1907年(明治40年)にハンセン病を発症して村から追い出されて放浪生活を送っていた「浮浪らい」と呼ばれる患者の収容が開始されました。

隔離のために作られた療養所の壁、熊本県菊池恵楓園
引用元:歴史から学ぶハンセン病とは?、厚生労働省
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2003/01/h0131-5/histry.html

そして、1931年(昭和6年)に「らい予防法」が成立した際には、各地の人里離れた山奥に国立療養所が作られて、患者の強制隔離が進められました。この際に「浮浪らい」の方以外に家族に家で匿われていた在宅患者に対しても、警官が同伴した市町村の職員や医師が家を度々訪れて、半ば強制的に療養所に送られました。ただ、その当時、不治の病と考えられていたハンセン病に感染した患者はその後一生療養所から出てくることはありませんでした。

多くの入所者は療養所に入る前に四国遍路へ行きました。
撮影:国立ハンセン病資料館にて

しかし、日本で1947年(昭和22年)、プロミンというハンセン病の特効薬による治療が始まったにも関わらず、1953年(昭和28年)に「らい予防法」が改正されても強制隔離は続けられました。

癒えない傷跡

前述の通り、日本でも古くからハンセン病の患者に対して、差別や偏見などは存在していたものの、それが顕著になったのは強制隔離が始まってからでした。それもそのはずです。当時はハンセン病に関する知識は皆無に近かったですし、また、強制隔離された患者の自宅は徹底的に消毒されて、さらに感染したら一生療養所暮らしとなったので、人々のハンセン病に対する恐怖がより一層植え付けられました。それに伴って、感染した患者に対する偏見や差別も助長され、その結果、実際に在宅患者が役所などに密告されるのは、近隣住民からの通報がほとんどでした。

患者さんは家族と離れて一生療養所から出られず、差別を恐れて偽名を名乗ったり、また、不良な子孫の産生の抑止を目的とした旧優生保護法の下で強制的に不妊手術が行われ出産が出来ず、さらに療養所で亡くなっても故郷で埋葬されることさえ許されませんでした。

患者の方たちが資金を集めて自ら作った納骨堂
引用元:人権侵害とその歴史、ハンセン病国賠訴訟
http://www.hansenkokubai.gr.jp/history/history_05.html

その後、1996年(平成8年)にようやく「らい予防法」が廃止されました。しかし、完治した患者さんは故郷に戻っても帰る場所が無いために療養所に戻ることも多く、今も多くの方々が療養所で生活されています。元患者さんの病気が治ったとしても社会的に失ったもの、ましてやそれまでの人生で失ったものは取り戻せません。

撮影:国立ハンセン病資料館にて

考察

逸脱者は作られる

前述のハンセン病の偏見や差別により、患者の方々の人権が奪われることになってしまったのですが、それらの偏見や差別は果たしてどのようにして生み出されたのでしょうか?

それに対しての答えの一つとして、 1960年代にアメリカの社会学者ハワード・ベッカーによって提唱されたラベリング理論によって説明できるかもしれません。 それまで、犯罪者や異常者などがどのように生まれるのかという原因を個人の性格や生育環境などその対象個人に注目した議論がなされてきました。

しかし、ラベリング理論では、ある行為や性質などの特徴を社会からの逸脱という風に定義し、また、その特徴を持った人に逸脱者(アウトサイダー)というレッテルを貼ることによって社会集団の中に自ら逸脱を生み出すとしています。すなわち、社会からの逸脱とはその性質を問わずに、社会によって、その定義が無条件に都合よく逸脱者に適用されたものなのです。

参考文献: 「知的複眼思考」、苅谷剛彦著、講談社

これも障害?

また、現代においても逸脱行為と定義付けされた障害があり、それはADHD(多動性症候群)です。下記にその代表的な症状を挙げました。

不注意

  • 学業・仕事中に不注意な間違いが多い。
  • 課題や遊びの活動中に、注意を持続することが出来ない
  • 直接話しかけると聞いていないように見える。
  • 指示に従えず、業務をやり遂げることが出来ない
  • 課題や活動を順序立てることがむずかしい
  • 精神的努力の持続を要する課題を避ける、いやいや行う
  • なくし物が多い
  • 他の刺激によって気が散りやすい
  • 日々の活動の中で忘れっぽい

多動・衝動性

  • 手足をそわそわ動かしたり、いすの上でもじもじする
  • 授業中に席を離れる
  • 不適切な状況で走り回ったり高いところに登ったりする
  • 静かに遊べない
  • まるでエンジンで動かされているように行動する
  • しゃべりすぎる
  • 質問が終わる前に出し抜けに答えてしまう
  • 順番を待てない
  • 他人の邪魔をする

これらはそれまで正式な病名もありませんでしたが、最近の精神医学の著しい発展と共に総合的に判断して障害であると定義付けされました。

しかし、上記の通り、それらが障害だとする症状の根拠は極めて曖昧なために客観的な検査・評価方法が確立されておらず、今のところ、診断は主に本人や保護者からの問診に頼っているのが現状です。

また、その原因も脳機能の発達や成熟に偏り、遺伝的なもの、周産期の問題、あるいは環境的な問題などが挙げられていますが、まだ未解明な部分が多いです。さらにその治療に至っても最終的には「自尊感情」や「自己意識」を高めることが目的とされ、抗ADHD薬も治験段階で今のところ抜本的な治療法がありません。

参考資料:ADHD(多動性症候群) 国立精神・神経医療センター
https://www.ncnp.go.jp/hospital/patient/disease07.html

これだけの不確定要素を含んだADHDですが、なぜその名が普及したのでしょうか?その要因の一つとして、企業による公告活動があると考えられます。実際にネットでADHDと検索して出てくるサイトの幾つかはそれに対して有効だとされる薬や治療方法を売り込んで利益を得たい企業による広告です。

障害≠その人の全人格

現在、日本の学校では何らかの障害を持つ生徒は通級指導に通わせるという形で支援を行っていますが、なぜ障害を持つという事だけで普通の生徒と一緒に授業が受けられないのでしょうか?

歴史上の偉人を見てみるとその多くが何らかの障害を抱えていたとされています。実際に「相対性理論」のアインシュタインが発達障害だったのは有名な例ですが、それ以外にも「フィガロの結婚」のモーツァルト、「万有引力」のニュートン、「人魚姫」のアンデルセンなどは自閉症であったとされています。

この世に完璧な人間など存在しませんし、どんな人間にも必ず弱点はあります。しかし、その弱点だけが私たちを特徴付けているのではなく、それ以外にも私たちが私たちであることをたらしめているものが必ずあります。したがって、私たちはその弱点とされている部分を理解して受け入れることが重要です。

実際に欧米の学校では、障害かそうでないかは問わず、全員が一緒の教室で授業を受ける統合教育(インテグレーション)を採用し、生徒たちに障害に対する理解とそれを受け入れさせるような取り組みを行っております。

多数派が優れているか?

私は農学部の出身なので、理系の視点からもこれらの問題について見ていきたいと思います。

オオシモフリエダシャクという蛾は、白樺の木に棲息しており、通常個体は天敵から身を守る保護色として翅が白くなっています。ただ、一部、翅が黒くなった少数個体が存在しますが、これらは天敵に見つかりやすく生存には適しませんでした。

オオシモフリエダシャク
引用元:nature  鱗翅類の外見に関わるcortex遺伝子
https://www.natureasia.com/ja-jp/nature/highlights/75494

しかし、イギリスでの産業革命時に工場から出る排煙により、周囲にある白樺の木が黒くなってしまいました。そのため、それまで生存に適していた白い通常個体は逆に天敵から見つかりやすくなり、白い個体は少数個体となってしまいました。その一方で黒い少数個体の生存に有利な環境となったので、一気にそれが繁殖して多数派となりました。

参考文献:「ナチの亡霊」、ジェームズ・ロリンズ著、竹書房

これは「工業暗化」による自然選択という進化論の一つの考え方ではありますが、私はこの例が多様性の重要さをも証明してくれるものだと思っています。つまり、多数派の単一種のみしか存在しない動物は環境の変化に適応できないために、その種の存続には多数派と少数派が共存する多様性が不可欠なはずです。

また、同時にこれは、たまたま多数派がその環境に適していただけで、決して多数派が優れている訳では無く、同時に少数派が劣っているという訳でも無い事を表わしてくれる良い例だとも思います。

まとめ

冒頭でも挙げた通り日本では、らい予防法の下でのハンセン病患者の強制隔離や不妊手術、また、外国では第二次世界大戦中、イギリスで同性愛者を取り締まる性犯罪法がありました。

しかもその当時のイギリスの法律で逮捕された人の中には、数学者のアラン・チューリングもおり、彼は当時世界最強と言われたナチスドイツのエニグマという暗号を解読し、連合軍の勝利に多大なる貢献をしました。

しかし、彼は同性愛者という理由だけで逮捕され有罪となり、その治療のためと薬による化学療法を強いられ、最後には青酸カリで服毒自殺しました。だが、最近の世界的なLGBT運動の中で、彼もようやくその有罪が撤回されました。

参考文献:「暗号解読」、サイモン・シン著、新潮社

私たちがそれまで当然だと考えていた世間一般での常識や法律といった社会規範は、時代の流れと共に変わりつつあります。また、今まで述べてきた通り、社会が常に正しいとは限りません。だからこそ、我々はそれが本当に正しいかどうかと常に疑いを持って、生きるべきなのです。

療養所の生活用具
撮影:国立ハンセン病資料館にて

最後に今回撮影にご協力頂いたハンセン病資料館では、通常、館内での撮影は許可されていませんので、訪問された際にはご注意下さい。また、皆さんも是非一度、ハンセン病資料館に足を運んで頂き、そこから少しでも何か感じ取って頂けたら幸いです。

さらに東村山には、私も頂いた「肉汁うどん」という美味しいグルメがありますので、ハンセン病資料館に訪れた際にはそれを召し上がることも是非お勧めします。

撮影協力:国立ハンセン病資料館、東京都東村山市青葉町4丁目1-13

参考資料:「ハンセン病とは」、日本財団、https://www.nippon-foundation.or.jp/what/projects/leprosy/about

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