領土問題について、皆さんはどの程度認識していますか?
我が国では、北方領土、尖閣諸島、竹島を領土問題として抱えていますが、多くの日本人はこれらの領土は、「正真正銘、日本の領土である」と信じているでしょう。
しかし、本当に日本の主張は絶対的に正当なものと言えるのでしょうか?それはどのような根拠に基づいているのでしょうか?本記事では双方の主張を中立的な立場でご紹介しましょう。
北方領土
極寒の地ロシア。昨年にはW杯が開催され、盛り上がっていました。
そんなロシアとの間には北方領土問題が存在しますね。
先日、2島+αで解決を目指す方針を日本政府は発表し、期待感が高まっていますが、依然として未解決。
この北方領土は複雑な歴史をたどっていますので、時系列で説明します。
北方領土の経緯
1855年 日露和親条約 択捉島までが日本の領土に
1875年 千島・樺太交換条約 千島列島が日本の領土に
1905年 ポーツマス条約 南樺太が日本の領土に
1945年 サンフランシスコ平和条約 日本は南樺太及び千島列島を放棄
参考:外務省 「北方領土問題の経緯」https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/hoppo/hoppo_keii.html
争点①北方領土は千島列島に含まれているのか?
1945年のサンフランシスコ平和条約で日本は千島列島を放棄しました。
つまり北方領土が千島列島の一部と認められれば、事実上日本は北方領土を放棄したことになります。まずここに両国間に解釈の差異が生じています。
参考:『日本の国境問題―尖閣・竹島・北方領土』 著 孫崎享
争点②日ソ共同声言をどう解釈するか?
1956年10月19日 日ソ共同宣言 一部抜粋
ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国の要請にこたえかつ日本国の利益を考慮して,歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし,これらの諸島は,日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする。
今日大きな壁となっているのは、平和条約の締結です。
上記の条文によれば、締結後には少なくとも歯舞諸島と色丹島が返還されます。
しかし日本側としてはあくまで、択捉島、国後島を加えた4島返還の立場であること。
これに対しロシアは、平和条約を締結して、日ロの経済連携を強化したいものの、返還をしたくない立場でありスムーズに交渉が進んでいない状態です。
尖閣諸島
近年、驚異的な経済成長を遂げている中国。日本にとっては最大の貿易国で、訪日中国人も年々増えており、アジアを代表する大きな存在です。
しかし、中国とは尖閣諸島で揉めています。
最近では、あまり話題にはならないものの、2010年9月に中国船が海上保安船に衝突し、日中の緊張感が高まったことを覚えていらっしゃる方も多いと思います。
この時、日本は船長を逮捕したことに中国側が猛反発し、外交的圧力を強めてきました。
結果的に那覇地検は緊迫した外交関係を考慮し保釈するという異例の判断を下し、賛否両論に分かれました。
争点①どちらが先に領有権を主張し始めたか
参考:外務省 尖閣諸島情勢に関するQ&A https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html#q2
参考:北京週報1996年No.34「魚釣島に対する中国の主権は弁駁を許さない」
争点②1895年下関条約をどうみるか?帰属は沖縄or台湾?
参考:外務省 尖閣諸島情勢に関するQ&A
https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/senkaku/qa_1010.html#q2
参考:2010年10月5日付「赤旗」
まとめ
いかかでしたか?領土問題は国家間のケンカであり、なかなか一筋縄でいかないのが現状です。
本記事でお伝えしたいことは、どちらが正しいのかということではありません。メディアなどの偏った報道を鵜呑みにしてはいけないということです。
「この記事も立派なメディア媒体じゃないか!!」と思われた方、おっしゃる通りです。この記事自体も鵜呑みにする必要もありません。
いずれにしても皆さんには多角的な視点を持てるように、自発的に、積極的に政治や歴史を知っていただきたいということが本記事の趣旨です。
次回は竹島、世界の領土問題、そして、実際に解決に成功した事例も紹介し、どのような交渉を行ったのか考察していこうと思います。
後編もぜひご覧ください!
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