第二次世界大戦後、ドイツは非常に厳しい現実を目の当たりにしていくことになります。
連合国に分割統治された後に、国内は東西ドイツに分裂。冷戦や周辺国との関係改善などで問題は山積み。国内は混乱状態に見舞われました。
しかしそのような困難に屈せず、一連の問題解決に取り組んでいった人物が現れます。その名はコンラート・アデナウアー。彼は政治家として、首相としてドイツ再建を図りました。それらの功績は現在でも称えられいることから、彼を語らずして今日のドイツを語ることは不可能に近いでしょう。
今回の記事では、初代西ドイツ首相アデナウアーの功績を振り返ります。
アデナウアーって誰?
経歴
名前:コンラート・アデナウアー( Konrad Adenauer )
出身地:ドイツ・ケルン
生年月日:1876年1月5日
主な経歴:ケルン市長(1917-1933)
初代西ドイツ首相(1949-1963)
西ドイツ外務大臣(1951-1955)
アデナウアーは西ドイツの初代首相を務め、第二次世界大戦後のドイツ国内の再建、周辺国との関係改善を任されました。彼は二度の世界大戦を経験するなど、非常に厳しい時代を生き抜き、戦後は政治家としてドイツを引っ張っていきますが、そこで待っていたのは、東西ドイツ分裂、ユダヤ人との関係改善、主権回復など厳しいものばかりでした。
しかし、彼の不断の努力により、ドイツは見事復興し、現在のドイツの基盤形成に大きく貢献しました。
ドイツでは著しく人気
そんなドイツの偉人アデナウアーは日本ではあまり知られていないのが現状ですよね。しかしドイツ国内では非常に高い支持を得ています。
2003年ドイツのテレビ局ZDFが「最も偉大な偉大なドイツ人は?」というアンケートをとったところ、なんとアデナウアーはルター、マルクス、バッハ、アインシュタインなどを退け、1位に輝きました。
このように国内では絶大な人気を誇るアデナウアーはどのような政治・外交を行ったのでしょうか?
アデナウアーの功績
アデナウアーVSナチス
戦前、彼はケルン市の市長を務めていました。しかしヒトラー率いるナチズムが国中を席巻。これに対し彼は危機感を募らせます。ナチスに対しては一貫して対抗の立場をとり続けますが、その勢いは止まることはありませんでした。遂には、ナチスから迫害を受けるようになり、市長辞任を余儀なくされます。
73歳で首相に就任
戦後は米、英、仏、ソ連に分割統治されることになります。アデナウアーはキリスト教民主主義党の指導者となり、西側諸国との関係を重視しながら、復興を目指しました。なぜなら共産主義を脅威を恐れ、ヨーロッパ全体で対抗していく必要性を認識していたからです。しかしそれによって米、英、仏の統治下とソ連の統治下間に亀裂が生じ始め、東西分裂の一因となってしまいます。それでも一貫してヨーロッパ全体で対抗していくことの重要性を訴え続けました。
1949年9月7日彼はドイツ連邦共和国初代首相に就任します。なんと当時の年齢は73歳とかなり高齢でした。さらに驚くことに、彼はその地位を14年間維持し続けたのです。つまり87歳まで首相を務めていたことなります。
外交問題
アデナウアーは1951年から約5年間外務大臣も兼任し、様々な外交問題に取り組み、外交主権回復に努めました。
戦時中ナチスはユダヤ人排斥政策を行ってきました。代表的な例は、アウシュビッツ強制収容所への送還です。そのあまりにも残忍な政策によって、ユダヤ人とドイツの関係は最悪の状態に陥ってしまいました。
そのような背景があることから、国際社会に復帰するためにも、これらの「過去」を清算することは必要不可欠であったのです。そこでアデナウアーはイスラエルに対し毎年最低2億5000万マルクを物資で支払う「ルクセンブルク補償協定」に調印し、14年間にわたって補償に取り組んでいきました。
またドイツ国内でも宗教的・人種的な差別を禁止する法律を定め、親イスラエル的立場を維持し、和解に努めていったのです。
欧州統合へ
先述した通り、アデナウアーは西側諸国との結びつきを重視しました。それが結果的に分裂を引き起こすことになるのですが、彼は辞さない覚悟で一貫した立場に立ちました。
1950年西ドイツは北大西洋条約機構(NATO)に加盟します。アデナウアーの積極的な再軍備姿勢に、戦後間もない出来事であったため国内のみならず周辺国からも非難の声も上がりました。しかし朝鮮戦争勃発をきっかけに、西側諸国の安全保障を確立し、共産主義に対抗していくことは必要な措置でした。このように西側陣営の防衛体制に貢献し、西側諸国との平等権を求めていったのです。
さらに1952年から欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が始動します。第二次世界大戦は領土問題が勃発の一因であったことから、資源の共同管理は最優先事項でした。また共同で管理をすることでヨーロッパ全体としての一体感を高めていきました。このECSCは現在のEUの原型と言われており、結果的にヨーロッパの結束に大きく役立ったのです。
現在のEU加盟国は28にまでのぼります。近年ではイギリスのEU離脱が問題となっていますが、今日のヨーロッパの強い結束はEUのおかげといっても過言ではないでしょう。同時にEUの基礎をつくりあげたアデナウアーの功績とも言えるでしょう。
おわりに
こうしてアデナウアーはドイツ再建に大きく貢献し、その功績が国内では遍く知られています。日本での知名度が低いのは少し残念ですが、この記事をきっかけに知っていただける機会となれば幸いです。
参考
板橋拓己(2014)『アデナウアー 現代ドイツを創った政治家』中公新書
ZDF Unsere Besten – Wer ist der größte Deutsche?
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