【並外れた演説力】独裁者ヒトラーの知られざる才能

政治コラム

史上最悪の独裁者とも言われるヒトラーは、巧みな演説力を駆使して大衆を扇動し、第二次世界大戦を誘発させました。また反ユダヤ主義を掲げ、ユダヤ人を迫害したことがでも知られています。

しかし、ヒトラーが事実上合法的に政権を獲得し、ヨーロッパ大陸を支配してしまうほど、ドイツの国力を復活させることができたのは、彼の非凡な才能によるものでした。

今回の記事では意外と知られていないヒトラーの本性、才能について迫ります。

*お断り:本記事はユダヤ人迫害などをはじめとする、ヒトラー及びナチ党の思想を支持するものではありません。

生い立ち

ヒトラー=ドイツ人というイメージですが、本当はオーストリア出身です。オーストリアでの腐敗した環境に嫌気がさし、24歳の時ドイツのミュンヘンに移住しています。

中学時代は赤点コレクター!?

青年時代、実科学校に入学しましたが、勉強はあまり優秀ではありませんでした。第一学年では必修の数学と博物を落第、第二学年でも数学を落とし、再試に合格して事なきを得ますが、第三学年ではフランス語を落第しました。別の学校へ通っても同じように次々と落第。再試と留年を何度も経験してきました。

その後も教師とのトラブルや病気などを理由に学校へ行かなくなり、退校を余儀なくされます。よって事実上彼が正式に教育を終えたのは小学校のみです。

このように青年時代のヒトラーの学業成績は相当悪かったことが分かります

並外れた演説力

先述したように、ヒトラーは学業に問題はありましたが、演説力は並外れたものでした。

人前でスピーチをすることは、思っている以上に大変なことですよね。緊張感もあり、十分な準備をして、聴衆が容易に納得できるようなプレゼンをしなければなりません。

しかしヒトラーはいとも簡単に演説を行い、聴衆を惹きつけてしまう才能がありました。

ヒトラーの演説を見ると、一つ大きな特徴があります。それは抑揚です。演説の冒頭は、聴衆が静かになるまで辛抱強く待ち、会場に緊張感を与えます。そして前半も落ち着いた口調で語りかけていきますが、後半感からクライマックスにかけては叫ぶように大声で演説を行っていきます。こうすることで深い印象を与え、聴衆を魅了することに成功していきました。

プロパガンダ

他にも巧みな演説力を遍く国内へ届けるために、様々な伝達手段を利用に取り組んでいきました。例えば、飛行機を利用した遊説「ドイツ飛行」が国内で大きな話題になりました。当時では非常に珍しい手法であったことから民衆を魅了し、また短期間にたくさんの地域を訪れることができたので、非常に効果的なプロパガンダであったとされています。

反ユダヤ主義

ヒトラーは反ユダヤ主義を拡大させ、ドイツ民族の優秀性を説くことでナショナリズムを高揚させていきました。次第に反ユダヤ主義が大きくなり、ユダヤ人は迫害を受けることになります。その中でも代表的なものはアウシュビッツ強制収容所。多くのユダヤ人はこの強制収容所へ送られ、大量虐殺(ホロコースト)が行われてきました。この民族主義にドイツ国民は洗脳され、後に戦争勃発の一因となっていきます。

ヒトラーは現在の劣悪な環境の原因をユダヤ人に押し付けることで、疲弊しきった国民の支持を集めていったのです。

アウシュビッツ強制収容所

ホロコースト

ナチス・ドイツによるユダヤ人大虐殺。ヒトラーが1933年に政権を握ると、ユダヤ人迫害を開始。第2次大戦開始後に大量虐殺が始まった。占領下のポーランドのアウシュビッツやソビブルなどの収容所にユダヤ人を移送し、ガス室などで殺害した。45年までに約600万人が殺されたとされる。

参考:朝日新聞DIGITAL ホロコースト https://www.asahi.com/topics/word/%E3%83%9B%E3%83%AD%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%83%88.html

ドイツ復活へ

失業率低下

当時のドイツは第一次世界大戦敗戦後の賠償金処理、激しいインフレ、世界恐慌などの煽りを受け、社会は破綻寸前でした。

一時、40%を超える国内の失業率が深刻な問題でしたが、アウトバーン(高速道路)建設などの公共事業に力を入れ、数年後には15%程度にまで落ち着かせることに成功します。

レジャー・娯楽

失業問題だけでなく、レジャー、娯楽、福祉事業にも力をいれました。イタリア=ファシズムを参考にし、大規模なレジャー施設やラジオの普及をさせることで、国民が住みやすい社会を実現し、支持を得てきました。

ドイツの領土拡大

こうしてヒトラーの改革は功を奏し、ドイツ復活を復活させました。経済をたてなおしたことでとどまれば良かったのですが、ヒトラーの野望はヨーロッパ征服、そして世界征服をすることでした。国民からの支持を集めながら、着々と戦争の準備をしていたのです。

総統の地位を得ると、他国からの反対を押し切り、軍備拡張を行っていきました。その後、併合、割譲を繰り返し最終的にはポーランドに侵攻することで第二次世界大戦が始まります。

〈総統就任~第二次世界大戦中盤までの時系列〉

1934年 ヒトラー、総統に就任

1935年 ザール地方編入

1938年 オーストリア併合、ズデーテン地方獲得

1939年 チェコスロヴァキア解体、ポーランド侵攻→第二次世界大戦へ

1940年4月 デンマーク・ノルウェー侵攻

1940年5月 オランダ・ベルギー侵攻

1940年6月 パリ陥落

枢軸国最大領域

ナチスドイツは驚異的なスピードでヨーロッパ諸国を次々と侵略していきました。オーストリア出身の一般庶民が、ここまでのことをするとは恐ろしいものです。

ヒトラーに関する映画

最後に興味深い映画を紹介します。こちらは第二次世界大戦の後半を描いた映画「ヒトラー~最期の12日間~」ナチスドイツがどのようにして終わりを迎えたのかがよくわかる映画です。

ヒトラー ~最期の12日間~(字幕版)(プレビュー)

そしてもう1つは「帰ってきたヒトラー」。この作品はフィクションですが、今日のドイツ社会にヒトラーが復活したらどうなるのか、コメディを交えつつ風刺的に描いています。興味のある方は是非ご覧ください!

『帰ってきたヒトラー』予告編(ロングバージョン)

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おわりに

一歩間違えただけで、大量の死者を生み出す戦争を誘発してしまうとは非常に恐ろしいことです。

第二次世界大戦後、ドイツはこのような過ちを二度と起こさまいと移民政策を積極的に行うなど、政策や方針を大きく変えていき今日のドイツ社会を形成しています。そして戦争や反ユダヤ主義の反省や教訓は今の時代まで受け継がれています

参考文献

中公新書「アドルフ・ヒトラー」著 村瀬興雄
中公新書「ヒトラーの演説」著 高田博行
角川文庫「我が闘争」上下 著 アドルフ・ヒトラー
「 1933-38年におけるナチス期の経済構造 」 著 相沢幸悦

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