【日本一の主権者教育の大会を受けて】私は意見をはっきり言えない

【日本一の主権者教育の大会を受けて】私は意見をはっきり言えない

こんにちは、ivoteのべっきです。2019年3月23日・24日、第6回シティズンシップ教育ミーティングに参加してきました!

この会は日本全国から大学教授や現役の学校教員、NPO職員、大学院生、大学生など様々な立場の人が集まってシティズンシップ教育について考える一年に一度の大きな大会です。

その会には高校生も多く実践報告のために来ていたのですが(すごい!)、その会の一日目の終わり、「私は他の子と違って授業の中でも意見をはっきりと言うことができなくて(主権者として)劣っているんじゃないかなと思って」と話す女子高校生がいました。

その言葉がずっと私の中で引っかかっています。

この記事では会に参加し、その言葉に対して考えたことをまとめたいと思います。


押し付けの主権者教育

主権者教育(とされているもの)の中では「選挙に行こう」「政治に興味を持とう」「賢く判断しよう」などがメジャーなメッセージです。

しかし(確かに教育である限り評価はすべきなのだろうけど)画一的な主権者像をすべての子どもに押し付けるのは違うのではないか、ということは私がずっと考えてきた問題意識でした。

実はみんなすでに主権者

立教大学の藤枝先生は2日目の分科会の中で「候補者を賢く選ぶ方法を考えよりも(多様な生活世界における主体として)自分が何をすべきなのかと考えるようなシティズンシップ教育を考えるべきなのでは?」「近くて遠い政治と言うものに自分らしく関わるには?」ということを論点として提示しました。

発表を聞いて今考えているのは、そもそも人間はいろんな立場(例えば私は家の長女で、大学生で、東京に住んでいて、日本人で、教員志望で、など)と、いろんな考え方(意見は具体的に言いたい、困っている人は助けてあげたい、子どもの可能性を広げてあげたい、など)を持っているということ。

そしてこのように自身が多様な要素を持った人間であるということを自覚するのが主権者意識構築のスタートではないかということです。

なりたい主権者になる

「池袋の子育て支援問題に関わってみて自分の地元である栃木の子育て支援はどうなのかなと考えた」と発表してくれた大学生がいましたが、活動を通して地元の栃木のことを改めて考えられるようになったなら、自分が栃木の人間でもあるということを再構成し、栃木に生きる主権者であると再確認できたということではないでしょうか。

また彼は「実は自分が人や地域とかかわるのが好きな人間なんだなと気づいた」とも話してくれましたが、そんな自分を発見できると、画一的な主権者ではなく、自分がなりたい理想の主権者というものが見えてくるのかなとも思いました。

当事者意識とは責任の一端を担う

高校で現役で教えている先生の一人は「地域活動の結果(子育て支援にどのくらい貢献できたか)そのものではなくプロセス(活動前後でどう変わったか)を評価することが主権者教育の評価として正しいのではないか」とコメントされていました。

また、その先生には土曜日の全体会で「当事者意識とは責任の一端を担うことで生まれる意識」とも教えていただきました。 他者(自分とは住む場所や年齢や抱える問題が違う人)と出会い関わることで生まれる当事者意識を自覚することがシティズンシップ教育なのではないか、ということが今の時点での私の結論です。

「参加している」とはどのような状態か?

しかし考えているだけではなく行動まで伴って(誰かとかかわることで)参加しているということになる、と考えたのが1日目の全体会。

その行動につなげるためには、投票以外にも様々な形での社会参加を行っている大人のロールモデルが必要なのだなあとも思います。

私はどんな主権者?

社会にはいろんなタイプの主権者がいるとすると、あなたは自分をどんな主権者だと思いますか?

また、どんな主権者になりたいと思いますか?

「私は意見をはっきり言えない」と話すあの子もきっと彼女だから見える視点があって彼女なりの考え方を持っている。そんな主権者としての自分に気づいていない、これからできる主権者しての考え方や行動の仕方を見つけられていないだけかもしれません。

誰でもみんな、ものをはっきり言えるリーダータイプの人、人のために自ら行動できる人、冷静に状況を判断できる人、人の気持ちを考えられる人、様々なタイプの主権者になれるのではないでしょうか。

それぞれが自分を主権者として自己評価するのが主権者教育のスタート、とするならどのような手立てが必要なのか、これからの検討課題にしたいと思います


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