歴代アメリカ大統領44人を全員振り返ろう!

米大統領選2020

アメリカ合衆国の大統領は現在45代目のドナルド・トランプ氏まで続いています。歴代アメリカの大統領は様々な政策を実行してきました。

本記事では初代から現在までの大統領について一人一人解説していきます!社会のテストでも役立つかも!?

初代大統領:ジョージ・ワシントン (無所属)

在任期間 1789年4月~1797年3月

アメリカ国内の通貨である、1ドル紙幣に描かれていることでも有名なジョージ・ワシントン。1775年に開戦した「アメリカ独立戦争」において、イギリスの支配下に置かれていた植民地軍の総司令官に任命され、戦った経歴がある。戦争後に英国と「パリ協定」を結び、アメリカの独立を実現させた。そして、初めてのアメリカの憲法の下で行われた選挙で初代大統領に選ばれた。

また、アメリカの首都である「ワシントンDC」は彼の名前からとったものである。

2代目:ジョン・アダムス (連邦党)

在任期間 1797年3月~1801年3月

元々、初代大統領の補佐である副大統領を務めていたジョン・アダムス。彼の代表的な功績は「アメリカとフランスの戦争を回避させた」ことである。独立した後アメリカは同盟国であるフランスとの貿易を続けようとしていたが、そこにフランスが敵視しているイギリスが入ってきたために、緊張状態都と化し、フランスはアメリカも敵とみなすように。

しかし、ジョンは「アメリカ海軍の創設」や、必死の外交を通しついにフランスとの戦争を回避することに成功した。

実は当時、あまり人気はなかったとも言われている。

3代目:トーマス・ジェファーソン (民主共和党)

在任期間 1801年3月~1809年3月

大統領でありながら、政治学や建築学、考古学に精通した博学者としても知られている。富国強兵策を取り、軍備強化に努め、「全ての人間は平等に作られている」のアメリカ独立宣言の起草者の一人としても有名であり、ジョージ・ワシントン達と共に独立戦争で戦った人物である。

大統領を辞職後、教育を充実させたいという思いから成る自身の夢新たな教育機関の設立」を1819年のバージニア大学の創立で実現させた。

4代目:ジェームズ・マディスン (民主共和党)

在任期間 1809年3月~1817年3月

大統領としての務め以外にもアメリカの憲法の半分以上を承認させるために多くの論文を書き、現在のアメリカの憲法の基礎を築き上げたために、「アメリカ合衆国憲法の父」とも呼ばれている。また、ジェームズが憲法承認を実現させるために記した「ザ・フェデラリスト」は今も尚、アメリカの憲法を理解、学習するために使われ続けている。

また、以前は5千ドル紙幣の肖像画にも採用されていた。(現在廃止)

5代目:ジェームズ・モンロー (民主共和党)

在任期間 1817年3月~1825年3月

彼自身が大統領だった時期はアメリカの政党同士の対立があまりなかったという。ほぼ所属する民主共和党の支配だったために「好感情の時代」とも呼ばれていた。モンローは「アメリカはヨーロッパ諸国に干渉しない、させない。」ということを提唱した。これは「植民地、紛争への干渉はしない」、「アメリカへの干渉はすべて敵対しているとみなす」ことである。これを「モンロー主義」(ヨーロッパとの相互不干渉)という。

幼い頃は農業に関心があったモンローだったが、大学に進学。このころの大学は学生の政治論争などが盛んなところが多く、モンローもその一人となった。その後独立戦争に行くために退学したとか。

6代目:ジョン・クィンシー・アダムズ (民主共和党)

在任期間 1825年3月~1829年3月

彼の父は2代目大統領であったジョン・アダムスである。アメリカ史上初の「親子」で大統領になった家系で有名である。大統領の就任前は外交官として、諸国との連携に力を注いだことで、「偉大な外交官」と評されるほどだ。大統領の父の厳しい教育が彼自身の人生に大きな影響を与えたという訳でもある。モンロー主義を起草し、アメリカの自立も目指した。しかし、大統領になったものの、後の7代目大統領の支持者たちによる反対運動の激化により、1期で退任してしまう。

とにかく両親からの期待が大きかったともいわれるアダムズ。幼いころから父に付き添って、外交業務を学んでいったほど。

 7代目:アンドリュー・ジャクソン (民主党)

在任期間 1825年3月~1837年3月

現在のアメリカの20ドル紙幣の肖像画にもなっている。「ジャソニアン・デモクラシー」と呼ばれる民主主義の推し進め(特に白人男性のみではあるが、普通選挙が全州で認められたこと など)の反面、インディアンや黒人に対する差別意識がかなり強かったジャクソンは「インディアン強制移住法」を制定し、ミシシッピ川以西の土地に移住させることとなった。しかしこれは一応合法的ではあった。

庶民的な人柄であることから人気のあった大統領だが、やはり、人種差別を大統領の立場で進めたことは今ではかなり問題視されている。アメリカにおける人種差別を強めるきっかけになってしまったともいえるだろう。

8代目:マーチン・バン・ビューレン (民主党)

在任期間 1837年3月~1841年3月

歴代大統領の中では唯一英語を第一言語としていない人物。オランダ語アクセントが強めの話し方だったマーチンは先代の大統領ジャクソンからの信頼は厚く、国務長官を任されたほど。ほぼ、ジャクソンの意思を受け継ぐ形で大統領になったが37年に起こった「1837年恐慌」という金融危機においてマーチンは不介入の意思だったが、これが大失敗。再起を誓うが反ジャクソン派に敗れる。

大統領就任直後に起こった金融危機に見舞われたため、かなり不遇だっただろう。

9代目:ウィリアム・ハリソン (ホイッグ党)

在任期間 1841年3月~1841年4月

なんと、在任期間はわずか1か月という短さでありながら、史上初アメリカ大統領差在職中に死亡してしまった記録持ちのハリソン。功績もお世辞にも多くはない。

ちなみに、ハリソンは初めての一般市民に対する選挙演説を行った人物としても有名である。

10代目:ジョン・タイラー (ホイッグ党/無所属)

在任期間 1841年4月~1845年3月

わずか1か月の任期であったハリソンの副大統領から10代目となったジョン。所属していたホイッグ党に対し、あまり協力的ではなく、ホイッグ党が推進しようとしたことに対し、何度も拒否権を行使した彼は大統領就任2か月後に党から除名され「政党を持たざる男」となる。その後は奴隷制度を支持するテキサス共和国とアメリカ間の条約を結んだ。大きな功績ではあるが、南北戦争のきっかけともなる。

アメリカ憲法の欠点を浮かび上がらせた人物としても知られる。

11代目:ジェームズ・ポーク(民主党)

在任期間 1845年3月~1849年3月

大統領就任時に「任期は1期のみ」と公言し、その中で、多くの功績を残すこととなったジェームズは当時未だにギスギスしていた相手、イギリスに対抗するため現在のカリフォルニア州の土地を欲しがっていたアメリカの悲願を達成させ、カリフォルニア以外にも土地を獲得し、その土地からなんと、金鉱や油田が発見されアメリカ経済の追い風となった。このように土地獲得、外交問題をわずか1期4年で成し遂げてみせたため、偉業を残したと言える。

大学を卒業した頃は弁護士としても活躍しており、その後テネシー州の下院議員から始まった。異名はダークホース。

12代目:ザカリー・テーラー (ホイッグ党)

在任期間 1849年3月~1850年7月

皮肉にもアメリカ大統領史上2番目に在職中に命を落とした人物でもある。そのため、大統領としての実績よりも、就任前の軍人としての実績が高めである。大統領就任の決め手である、米墨戦争(アメリカ北部の侵略戦争)において勝利を導いた人物として名高い。

ちなみに、学業とは無縁な生涯のせいか、字がかなり汚かったそうな。

13代目:ミラード・フィルモア(ホイッグ党)

在任期間 1850年7月~1853年3月

あの黒船で知られるペリー提督を日本に送った人物こそ、このミラード・フィルモアである。これは太平洋に面する国々との接触をすることで開拓を行おうとしていたのだ。更に大きな実績の一つとして、大陸横断鉄道の敷設にも尽力し、この鉄道の敷設はアメリカ経済の大きな成長のきっかけとなる。

日本開国のイメージはペリーが強いかもしれないが、決意したのはミラードである。

14代目:フランクリン・ピアース(民主党)

在任期間 1853年3月~1857年3月

アメリカ国内では「史上最悪の大統領」とも呼ばれている。当時奴隷制度を支持するアメリカ南部と反対する北部との対立に苦労されられる羽目となり、この対立を「カンザス・ネプラスカ法」に署名したことで奴隷制度拡大になり、悪化させてしまい、これが彼の人生そのものを狂わせてしまったのである。

プライベートでも彼の子供たち、妻に先立たれておりかなり不遇な人生だった。

15代目:ジェームズ・ブキャナン(民主党)

在任期間 1857年3月~1861年3月

先代大統領ピアースと並ぶ最悪の大統領の汚名を持つ、ブキャナン。というのも当時アメリカは南北戦争に入るか入らないかで揺れ動く時代であり、悪い時期に大統領就任してしまったことも要因である。特に、南部諸州の離脱を食い止められたことが南北戦争の大きなきっかけになってしまったのである。

そんな彼も日本との友好関係に貢献していたことは大きな功績として認められている。

16代目:エイブラハム・リンカーン(共和党)

在任期間 1861年3月~1865年4月

「アメリカの大統領で誰が一番先に思い浮かぶか」と聞かれたら、多くの人が「リンカーン」と答えるだろう。当時のアメリカは黒人差別も激化していき、南北戦争、国家分裂に突入していた時代だった。そんな中リンカーンは「奴隷解放」に尽力し、奴隷制度があるからこそ、国家の安全はないとし、ついに1865年には全州がすべての奴隷を解放することを取り入れた憲法の成立に繋がったのであった。

あの「人民の、人民による、人民のための政治」というフレーズは1863年のゲティスバーグ演説から誕生した物。わずか2分ほどの演説だったという。また、皮肉にもリンカーンは「暗殺された」初の大統領である。リンカーンを暗殺したのは奴隷制度廃止に恨みを持つジョン・ブースであった。

17代目:アンドリュー・ジョンソン(民主党)

在任期間 1865年4月~1869年3月

元は2期目のリンカーン政権における副大統領であった。リンカーンが暗殺されたすぐ後に大統領就任となる。かなり議会との対立が目立つ人物であり、アメリカ大統領としては初めての弾劾裁判を受けることとなってしまった。南北戦争後の南部再建においてはかなり荒っぽいやり方が目立ち、味方も大統領としての権限も失うほどであった。

とにかく議会との対立が目立ったアンドリュー。演説時にはなんとお酒を飲んでいたという話も。その時の姿は品格ゼロにほぼ近かかったそうな。お酒怖い。

18代目:ユリシーズ・グラント(共和党)

在任期間 1869年3月~1877年3月

アメリカで最も多くの犠牲者を出した、南北戦争において北軍を率いたことでも知られており、リンカーンは政治面で、ユリシーズは戦地面で戦争を終結させた英雄とも言われる。大統領就任後はスキャンダルに苦心することとなってしまう。ある時酒をめぐる脱税、賄賂の事件において、関わっていた人の中にはなんと、自分の子供や秘書がいたことが判明。これらのこともあり、ユリシーズ自身の人気も急落。スキャンダル続きの大統領となってしまった。

戦地では活躍したものの、その活躍は生かせずに大統領就任後は散々。なんとも哀れである。筆者的には今の芸能界に通ずる要素が感じられる。

19代目:ラザフォード・ヘイズ(共和党)

在任期間 1841年4月~1845年3月

激戦となった大統領選をわずか1票の差で勝ちぬいたラザフォード。これといって目立った功績はないが、中国の移民問題に取り組んだこととしても知られる。当時大陸横断鉄道の敷設工事が行われていたアメリカは安価な労働力として中国人を多く迎えた。しかし、敷設工事が終われば職を失うであろう中国人側が現地の人々から仕事奪う脅威になるだろうと考えたラザフォード。移民禁止はしなかったものの人数制限を行い、アメリカと中国の関係悪化を防いだ。

尚、この政権の頃に奴隷解放が悪い意味でも止みつつあった。

20代目:ジェームズ・ガーフィールド(共和党)

在任期間 1881年3月~1881年9月

大統領就任わずか6か月後に暗殺されてしまった大統領である。また、暗殺された大統領としてはリンカーンに次ぐ2番目。ガーフィールドが就任した頃、アメリカの政府の腐敗が進んでおり、勝手な人事、企業との癒着が深刻化しており、ガーフィールドはそんな政治体制を改善するために力を尽くしていった。しかし、大統領としての功績をほぼ残せないまま暗殺されてしまった。

21代目:チェスター・アーサー(共和党)

在任期間 1881年9月~1885年3月

先代の大統領が亡くなり、急遽大統領に就任。就任当初は議会からの信頼はあまり無かったが、それに関わらずチェスターは対立になることを覚悟したうえで「公職制度改革」に力を注いだ。彼が定めた人種も問わず、資格試験で選任させる「ペンドルトン法」は腐敗していた政界にとっては革命も同然であった。しかし、当時の政界はチェスターを認めない人が多く、批判の的に。次の大統領選で名も上がることなく引退した。

政治家の好き勝手に行っていた政治を立て直したチェスター。本来の在るべき姿に戻したという訳である。

22代目:グロバー・クリーブランド(民主党)

在任期間 1885年3月~1889年3月

アメリカ大統領の中で唯一の「連続ではない2期」を務めたのがグロバー・クリーブランドだ。ここでは1期と2期の功績を分けて解説する。

1期:チェスター・アーサーが可決した「ペンドルトン法」の意思を受け継ぎ、公職制度の改革を更に進めていった。当時は共和党が支配した議会は力を強く持ちすぎており、「議会にとって都合よし」な政治になっていた。グロバーは世論を味方につけ、決着をつけた。

2期:主に関税の問題に目を向けていた。しかし、23代目大統領が関税の大幅な引き上げを行っていたこともあり、当時は大不況に見舞われた。グロバーは「強権主義」を貫き、引き下げを何としてでもさせようとしたが、うまくいかず支持を失うこととなった。また、関税は引き下げられたものの恐慌解決には至らなかった。

23代目:ベンジャミン・ハリソン(共和党)

在任期間 1889年3月~1893年3月

グロバーの間に挟まれる形の任期となったベンジャミン。議会と対立姿勢を見せていたグロバーとは対照的に議会統制を受ける身であった。だが、議会に従いっぱなしだったためか、批判されるような法をいくつも成立していた。特にベンジャミンを陰で操っていたともいうジョン・シャーマン上院議員が彼に成立させた「シャーマン反トラスト法」(独占資本の活動制限)も世間からは不評を買った。

後にこれらの金融政策の失敗が24代目大統領として返り咲いたグロバーにも影響することとなる。

24代目:グロバー・クリーブランド(民主党)(2期)

在任期間 1893年3月~1897年3月

22代目と24代目(連続ではない2期を務めた)大統領。詳細は22代目大統領グロバー・クリーブランドの項目を参照してください。

25代目: ウィリアム・マッキンリー(共和党)

在任期間 1897年3月~1901年9月

近代アメリカの政治基礎を作り上げた人物でも知られる。彼は外交政策をとにかく重視し、その代表例こそが1898年に起こった「米西戦争」である。キューバの独立を支持するアメリカとキューバを植民地にしているスペインの戦いでもあり、イギリスの影響力を抑えるためでもあったこの戦争は、今日のアメリカの政治のきっかけとも言われ、ウィリアム自身も近代アメリカの創設者ともいえる。またこの戦争はアメリカが国際的な問題に介入する先例でもあった。

自由と民主主義を掲げるアメリカの帝国主義化も進んでいくこととなる。

26代目:セオドア・ルーズベルト(共和党)

在任期間 1901年9月~1909年3月

史上初のノーベル賞を受賞したアメリカの大統領でもあるルーズベルト。若くして大統領になった彼は大きな功績が多いとして今もなお高い人気を誇る。企業に規則を持たせたうえで独占的な企業市場を防ぎ(反トラスト)、大企業が政治への影響力を持っていたような時代を終わらせ、アメリカの経済を「革新主義にしたことも大きな功績の一つである。

軍人、作家、自然主義者というように様々な肩書を持っていたルーズベルト。この多くの経歴持ちであることも彼の人気のワケである。

27代目:ウィリアム・タフト(共和党)

在任期間 1909年3月~1913年3月

セオドア・ルーズベルトの「反トラスト政策」更に推し進めた人物。アメリカ国内のエネルギー産業を支配していたスタンダートオイル社を解体させたことも大きな結果である。また、彼の代名詞は「ドル外交」であり、これは武力の代わりとして「ドル(資本)」を用いた東アジアなどへの進出、各国でもドルを流通させるためであった。平和的にも見えるが、最終的には武力だよりになっていった。

また、大統領としての職を終えたあとは最高裁判所長官に就任している。行政と司法のトップ両方を務めたのはタフトただ一人。

28代目:ウッドロー・ウィルソン(民主党)

28 Woodrow Wilson | Thomas Woodrow Wilson by Pach Brothers o… | Flickr

在任期間 1913年4月~1921年3月

歴代大統領の中で学問に長け、唯一博士号を取得していることでも知られている。また第一次世界大戦の参戦を決断した人物でもあるため、大きな時代の中の大統領でもある。当初、アメリカは中立の立場とすると明言していたが、実はウッドローは軍への貸し付けも実施していたこと、ドイツによってアメリカ人も乗船していた船が沈められたことなどが重なり、ウッドローは連合軍として参戦することを決めたのだった。

尚、これは「戦争を終わらすための戦争」として知られるようになった。

29代目:ウォレン・ハーディング(共和党)

29 Warren G. Harding | Warren G. Harding by Harris & Ewing, … | Flickr

在任期間 1921年3月~1923年8月

アメリカを第一優先とした政策に長けていたが、本格的な改革をすることが出来ないまま、亡くなってしまったウォレン。だが、国内産業の保護、失業率の改善といった功績は国民にとってはありがたいものであった。これらのことから「アメリカ大統領史上最も活躍できなかった人物」とも言われている。

また、ワシントン海軍軍縮会議にて日英同盟を破棄させ、国際協調を築いたのも彼である。

30代目:カルビン・クーリッジ(共和党)

30 Calvin Coolidge | Calvin Coolidge by Notman Photo Co., 19… | Flickr

在任期間 1923年8月~1929年3月

ウォレンの急死後に30代目大統領に就任。新聞やラジオといったメディアを活用し、自分自身を「大統領ではあるが、自分も一人の国民だ。」とし、多くの支持をこれまでの大統領とは違うやり方で集めた。功績の一つである減税政策ではアメリカを更に反映させたとも言われている。また、第一次世界大戦後の不戦条約(戦争の違法化)も彼の時代に提携された。

大統領の中では初の「ラジオ演説」を行ったカルビン。これは今日のアメリカ政治のメディア戦略に通ずるものがある。

31代目: ハーバート・フーバー(共和党)

President Herbert Hoover | One of the tasks of a chief execu… | Flickr

在任期間 1929年3月~1933年3月

大統領になる前の支援活動に尽力したこともあり、31代目大統領に就任。人道的な行いが特に評価されていた人物である。29年にアメリカで起きた不況時には失業者への支援や財政難であったドイツの借金支払いに猶予(フーバー・モラトリアム)を与えて世界大恐慌を抑えようとしたことが彼の人道的な行いの象徴だ。

世界恐慌が無ければ、もっと大統領として評価も高かっただろう。

32代目: フランクリン・ルーズベルト(民主党)

File:FDR 1944 Color Portrait.jpg - Wikimedia Commons

在任期間 1933年3月~1945年12月

12年という長期に渡ってアメリカ大統領の座にいたルーズベルト。これはあの第2次世界大戦の時代だったいうことも理由の一つ。しかも大統領に就任したての頃は世界恐慌の真っ最中。彼はニューディール政策に取り掛かり、失業率の低下、GDPの上昇といったように景気を回復傾向に向かわせた。(保護貿易から自由貿易の切り替えも)そして、当初は参戦しない姿勢であったアメリカを第二次世界大戦に参戦させることとなる。アメリカにとって重要な債務国イギリスが借金返済できないという懸念、日本による真珠湾攻撃がきっかけであった。

戦争による差別政策などを実行させたために「戦争犯罪人」とも見られるように評価が大きく分かれているが、偉大な大統領であることも確かだ。

33代目: ハリー・トルーマン(民主党)

33 Harry S Truman | Harry S Truman by Edmonston Studio, June… | Flickr

在任期間 1945年12月~1953年1月

トルーマンが就任した際は第二次世界大戦の真っ最中。厳しい時代の最中の大統領でもあり、多くの犠牲者を出した世界大戦を終わらせた人物でもある。そして、ポツダム宣言を勧告、それを黙殺した日本に向けて、原子爆弾投下を命令させたとも言われる(正式承認はしていなかったともいわれる)こうして日本も降伏せざるを得なくなったために実質的に第二次世界大戦を終わらせたのであった。だが、彼の時代からアメリカにとっては脅威となりつつあったソ連との対立が激しくなり、トルーマンもソ連の共産主義拡大阻止の行動に出たために「冷戦」の時代が始まってしまった。

戦争を終わらせた英雄とも言われる反面、原爆を初めて「使ってしまった」というアメリカにとっての負の遺産を遺すことに。また、国連軍の総司令マッカーサーが、中国本土へ核爆弾を使う!と言った際にはそれを拒否し、マッカーサーを更迭した。

34代目: ドワイト・アイゼンハワー(共和党)

President Eisenhower 1959 | US President Dwight Eisenhower, … | Flickr

在任期間 1953年1月~1961年1月

第二次世界大戦終結後に就任したドワイト。当時アメリカの大統領=世界のリーダーのようなものの時代であり、ドワイトは外交に専念することになる。1953年には朝鮮戦争を終結させ、アジア諸国とも同盟を次々に結び、1960年には「日米安全保障条約」を締結させた(しかし日本側ではこれに反対する「安保闘争」が起こった)また彼は核兵器の使用を固く反対し、「平和のための原子力」を唱えたことでも有名。

彼自身はノルマンディー上陸作戦の最高司令官の経歴があるので、軍人としての評価も高い。

35代目: ジョン・F・ケネディ(民主党)

大統領ジョン·ケネディ 35 代大統領 暗殺 Jfk - Pixabayの無料写真

在任期間 1961年1月~1963年11月

亡くなった自分の兄の意思の受け継ぎ、父の手引きで大統領に就任したケネディ。就任時の演説で「国が国民に何をするかを問うのではなく、国民が国に何が出来るのかを問え」の発言が話題を呼び、新たな時代の始まりを予感するかのようであった。そんなケネディの功績と言えば「キューバ危機の回避」である。ソ連がキューバに核ミサイルの基地を作っていたことが判明し世界は核戦争の危機に陥っていた。しかし、ケネディはソ連のフルシチョフ首相との交渉を重ね、核戦争勃発を食い止めたのであった。

1963年のパレードの最中に暗殺され、在任期間はわずか2年と少しであった。この暗殺事件は今も尚不透明なところが多く証拠の文書などが2039年まで未公表の扱いとなっている。

36代目: リンドン・ジョンソン(民主党)

在任期間 1963年11月~1969年1月

ケネディの意思を受け継ぐ形で大統領に就任。1964年に公民権法に署名したことで、アメリカの歴史でもあった人種差別制度に終止符を打ち、その後は社会保障制度の拡大にも努めることとなった。しかし、後に8年も続くこととなるベトナム戦争のきっかけとなる「トンキン湾事件」がアメリカ政府の自作自演だと判明すると一気に人気も落ち、退任に追い込まれてしまった。

トンキン湾事件にかかわったために、ベトナム戦争を悪化させるきっかけを作ってしまったリンドン。大統領としてはかなりの悪評を遺してしまったと言える。

37代目: リチャード・ニクソン(共和党)

Richard Nixon | Recently, on historyinanhour.com we wrote an… | Flickr

在任期間 1969年1月~1974年8月

外交力に優れた一面を持つことでも知られる。その外交力を示す代表例が1972年の「沖縄返還」やソ連との緊張緩和、断絶中であった中国への来訪で共産化を止めることにも成功している。しかし、彼自身の悪い意味の象徴「ウォータゲート事件」において、彼自身が属する共和党が起こした事件にも関わらず、リチャードはありとあらゆる手でもみ消し工作を行ったとされ、ついに弾劾裁判にかけられ大統領史上初の辞任という形で職を降りることとなった。

また、彼の政策「ニクソンショック」は日本のバブル時代を作るきっかけとも言われている。

38代目:ジェラルド・フォード(共和党)

Gerald Ford Photo | Pikrepo

在任期間 1974年8月~1977年1月

大統領選を戦わずして、就任したが、ニクソンも関与した「ウォータゲート事件」の影響で共和党の信頼はないに等しかった。そのせいもあり彼はこれといった功績は残さずに終わっている。どちらかと言えば、ホワイトハウスの威厳回復のための活動がほとんどだったとか。またニクソンへの「大統領特別恩赦」(ウォータゲートの件で罪に問わない)をしていたことで彼自身の信用も落ちていった。

ここで共和党政権が民主党政権へと変わっていった。

39代目: ジミー・カーター(民主党)

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在任期間 1977年1月~1981年1月

ジミーが就任した時、国民の政府への不信度が深刻だけでなく、国の様々な問題が山積みであった。ジミーは大統領と国民の距離を縮めるための活動に精を出したが、かえって大統領の尊厳を無くしてしまったともいわれる。また、数少ない功績として輸入依存の防止のためのエネルギー省の設立がある。大統領の任期を終えて数年たった2002年に国際紛争の平和的解決に尽力したとしてノーベル平和賞を受賞している。大統領時代よりも引退後で活躍。これ皮肉?

40代目: ロナルド・レーガン(共和党)

40 - Ronald Reagan - Jeopardy | President Ronald W. Reagan | Flickr

在任期間 1981年1月~1989年1月

就任して約70日にワシントンで銃撃に遭い、重傷を負ってしまうがなんとわずか10日で退院し、大統領の職に復帰。当時高齢でありながらこの回復力である。彼の名前が入った「レーガノミクス政策」では減税やインフレ抑制が話題になり、イスラエルとでは自由貿易協定を結び、アメリカ経済の活発化に努めた。しかし、この反動で貿易面、財政面において両方の赤字状態(双子の赤字)になってしまう。また、40年以上続いた冷戦を終結させるきっかけも作ったことは彼の功績の代名詞だ。

41代目: ジョージ・H・W・ブッシュ(共和党)

41 George H. W. Bush | George H. W. Bush, 1989. White House … | Flickr

在任期間 1989年1月~1993年1月

裕福な家庭で育ち、第二次世界大戦ではパイロットとしても活躍したジョージ・H・W・ブッシュ。大統領就任後は国の麻薬問題に着手し、麻薬の取引地点の一つの国に侵攻し、当時の政権を壊滅させたほど。また湾岸戦争においては多国籍軍としてイラク軍を攻撃。その後は「クェート宣言」を出し停戦に持ち込んだが、後に中東問題をこじらせることとなった。

第43代目大統領に彼の息子が後に就任することとなり、父である彼は大統領としての仕事を終えた後は息子のために、あまり目立たない生活を送ったそうな。

42代目:ビル・クリントン(民主党)

42 - Bill Clinton - Jeopardy | President William J. Clinton | Flickr

在任期間 1993年1月~2001年1月

後に2016年の大統領選において、トランプと闘うこととなるヒラリー・クリントンの夫である。外交などより彼はアメリカ国内の経済の立て直しに力を入れ、レーガン大統領時代に起こった「双子の赤字」問題を解消。財政黒字を達成させたこの好景気を「クリントノミクス」と呼ばれる。しかし、その分外交は不得意なほうであり、中東問題に悪戦苦闘。これらのことが2001年の同時多発テロのきっかけを作ったのではという声も。

ビル・クリントンはスキャンダルに事欠かない人物でもあり、ホワイトハウス内での不倫が自身の信用を落とすこととなる。また妻であるヒラリーが起こしたスキャンダル事件にも振り回される羽目に。なんて夫婦だ。

43代目: ジョージ・W・ブッシュ(共和党)

43 George W Bush | George W. Bush by Eric Draper, 2003. Whit… | Flickr

在任期間 2001年1月~2009年1月

41代目大統領であるジョージ・H・W・ブッシュとその妻であるバーバラの間に生まれたジョージ・W・ブッシュ。就任した年にあの同時多発テロが発生した際には救助隊を激励。その姿に感動した人は多かった。彼の時代では、同時多発テロのみならずアフガニスタン侵攻、イラク戦争と争いが続き、戦時大統領としての活動がほとんどであった。しかしイラク戦争ではイラクを激しく批判。「イラクが兵器を大量に持っている」とし、開戦に持ち込こんだ。しかし彼のこの見解は大きな誤りであり、それを認めながら退任。この戦争の代償は計り知れないものとなってしまった。

就任時の支持率90%が退任時になんと19%までに下がることとなった。

44代目: バラク・オバマ(民主党)

在任期間 2009年1月~2017年1月

言わずと知れた史上初の黒人大統領(アフリカ系アメリカ人)であるオバマ。就任時は泥沼化とした外交問題やリーマンショックによる国内の混乱と対峙することになる。その中で彼が特に力を入れたのは「弱者の救済」であり、大量の失業者、医療を受けることもままならない人たちに手を差し述べる政策を行った。代表的なものが「オバマケア」(医療保険制度改革)だ。原爆が落とされた広島に初めて来訪した大統領でもあり、そこで行った演説において「核なき世界」が話題を呼んだように平和的外交にも取り組んだ。

だが、現在の大統領であるトランプによって彼の功績のほとんどが覆されることとなる。(オバマケア自体もトランプによって廃案されかけたことも)

45代目:ドナルド・トランプ(共和党)

President Trump at his desk | President Donald J. Trump is s… | Flickr

在任期間 2017年1月~現職中

アメリカ第一主義を掲げることが印象的なトランプ。大統領になる前は父からの会社を受け継ぎ、リゾート地、カジノ、ホテルの経営を通し「アメリカの不動産王」としても有名になっている。大統領就任後はアメリカ第一主義を掲げた、利益を追求したやや極端な政策も目立った。オバマケアの一部撤廃、2017年のパリ協定からの離脱というようにオバマ政権とは打って変わり、インパクトが強いものが多い。また2018年の「米党首脳会談」はアメリカと北朝鮮の関係の関係が悪化している最中、突然のことであり歴史的会談にもなった。現在も大統領であるが、2020年11月には大統領選を控え、バイデンとの闘いが本格的に始まろうとしている。

ちなみに1992年公開のアメリカのコメディ映画「ホームアローン2」において当時ホテルのオーナーであった彼本人が出演している。かなり面白い作品名なので見ながら出演シーンを探してみよう

参考サイト https://koumu.in/ 公務員総研(全大統領分)

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