最近のニュースの中で、大手コンビニエンスストアのフランチャイズ店のオーナーが人員不足のために24時間営業を止めたこと対して会社側は契約違反だとして、契約解除やそれに対する違約金を要求するというのが話題となりました。
参考:東洋経済オンライン セブンの営業時間騒動「合法だからOK」への疑問
https://toyokeizai.net/articles/-/269270
このようにコンビニの24時間営業や長時間労働、残業などが問題となり、働き方改革が叫ばれる中で、これらの問題がどのような要因によって引き起こされているものなのかを分析したいと思います。
行き過ぎた過剰なおもてなし
日本では長年、全体としての賃金が増えずに消費も伸びないデフレ経済であったにも関わらず、大卒者の増加により企業で働く就業者の高学歴化が進行しました。
その結果、増大し飽和化した人的資本は付加価値を生む資本にはなりきれず、また、デフレ経済による低価格競争で行き詰った競合企業同士は、その高学歴化によって高度化した能力は賃金を上昇させる競争をする代わりに、コンビニや飲食店などの24時間営業や宅配便の指定日及び指定時間配達などの過剰なサービスを供給する競争で他社との差を付けようとしました。
また、企業はそのようなサービスを安価で提供するために人件費が高い正規労働者が減らし、人件費が安く済む非正規労働者を増やしました。
このようなサービスは外国から見たら異常で、そもそも諸外国では公共交通機関でさえ、指定時間に来ないというのも珍しくはありませんので、その点に関しては日本は優秀といえるかもしれません。
確かに日本のサービスはきめ細やかで便利ではありますが、その報酬に反映しにくい過剰なサービス労働をしているアルバイトなどの非正規雇用者の犠牲の上に我々日本人の便利で快適な生活が成り立っているということを我々日本人はついつい忘れてしまっているのではないでしょうか。
そして、我々消費者はそれを無意識に当たり前だと思い、国際水準以上に行き届いたサービスを低価格で要求してしまいがちです。
実際に消費者が購入する財やサービスの価格等を総合した物価の変動を表す消費者物価指数(CPI)は年々減少傾向にあります。
また、就職に関しても、本来ならば、就業者の高学歴化は賃金の上昇をもたらすはずですが、残念ながら実際には賃金と結びついた就業機会をめぐる競争へと発展しました。したがって、就業機会がどのように配分されるかが賃金を決めているというのが、今の日本の現状です。
教育に求められること
ではそこで、今の日本の教育の役割は、そのような働き方に合う人材を育成または供給することなのでしょうか?また、大学はこの雇用の仕組みにマッチングできるキャリア選択を支援することなのでしょうか?
現在、グローバル化により海外でビジネスを拡大させている日本では、大学などで英語での授業以外に人材の高度化及び生産性を高めるために主体的な学びや批判的な思考力の育成を目的とした教育いわゆるアクティブラーニングが文部科学省によって推奨されています。
参考:文部科学省 新しい学習指導要領等が目指す姿
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1364316.htm
確かにそのことも重要ですが、しかし、それら大学などの教育機関での主体的で批判的な考え方の育成は、今の日本人の働き方や雇用の仕組みを疑問に思い、変えていくことができる批判力や判断力を担うためにこそ向けられるべきではないでしょうか?
まとめ
私がこの記事を書こうと思ったきっかけは、私が昨年カナダに留学した時の経験によるものです。その経験というのが、私が向こうのレストランに行った際には必ず料理の代金以外にそのサーバーに対してのサービス料いわゆるチップを求められたことで、最初はそれに違和感を感じていましたが、後にそれは享受したサービスに対してはしっかりとそれ相応の正当な対価を支払うという合理的な考えに基づいていることに気が付きました。
我々日本人がそれまで当然と考えていたコンビニや飲食店の24時間営業は、少子高齢化による生産年齢人口の減少の追い風を受けて危機的な状況に立たされています。そのような状況下においてもなお、低賃金の非正規労働者の割合が増え続ければ、ますます低価格で便利なサービスを求める競争が激化することは明白です。私はイントロで紹介したニュースがこの状況に対して一石を投じるきっかけになるものだと願うばかりです。
また、今の主体性や批判的な思考を育む教育がそのような現状に適合するような人材を育成するのではなく、より良い社会を作るためにそれを変えていくことができる人材を養うべきだと私は思います。
参考図書:「オックスフォードからの警鐘」 苅谷剛彦 著
コメント